【夕方:ADELA内地下通路にて】
その男は急いで着替えをしていた。その姿はもう幼い少女ではなく、セクレタリーであるフェンリルの姿そのものになっていた。
「おい、誰か幹部を見ていないか」
少し焦って聞くフェンリルの問いに納得のいく答えを返せるものはいなかった。
地下通路には複数名の構成員。彼らを連れていくには危険が多すぎる。フェンリルはすれ違う構成員達に軽く挨拶をし、上へと向かった。
(せめて、戦闘向きのヴェロニカかニーナ、ミザリーあたりがいれば...)
そう願っても叶いはしない。
「こんなときに限って誰もいないなんて...くそっ」
その独り言が拾われることは無かった。
【-夕方過-路地裏にて】
その男は逃げていた。その姿は黒髪の少女ではなく、成人男性のものへと変わっており、大粒の汗を流しながら走っている。
そこはもうルルリカからかなり離れた場所で、貴族が住む一等地の路地裏。貴族や富豪が住む地区なだけあり、路地裏でさえも綺麗に整備されている。
ADELAに所属するその男は逃げる場所を間違った。スラム街にでも逃げていれば助かる可能性は高かっただろうが、こうも綺麗に整備された街並みでは蟻であろうと隠れるところはありはしない。
薄暗くなった街並みを街灯が照らす。
「くそ...!油断した、くそ!」
その男は息を切らし、走る。後ろには華翠、それも幹部が3名。
「逃げ足が早いですね〜。いい加減諦めたらどうですぅ〜?」
唯のそのセリフにヴァリスの男は返す余裕など無かった。それに比べ華翠の3人は軽く息は切らしてはいるものの、まだ余裕の表情だ。
「ほおら、行きますよぅ」
唯が自身の武器を軽く地面に叩きつける。
バコバコバコッッ!!!
敷き詰められたレンガがものすごい勢いで盛り上がり、ヴァリスの男の足元を揺らつかせる。
「うわっ!?」
ヴァリスの男はふらつくもなんとかバランスをとり、諦めることなく走り続ける。
「も〜諦めが悪いですよぅ」
唯はむ〜!とした表情を浮かべるが、その隣でアシェルは少し苦笑いを浮かべていた。
「あんまり暴れると後で上に怒られちゃうよ、被害は最小限にしないと...」
確かに、先程からアシェルは自身の武器を使い攻撃をしていない。それは一等地の街並みを壊すまいとした、小さいながらの気遣いなのだろうか。
「でもでも、そんなこと言ってたら逃げられちゃいますよっと!」
フレイがふらついたヴァリスの男目掛けて氷を地に這わせる。
あと少し、あと少しでその男の足元を凍らせれる。
それはテニスボール1個分、それくらいの距離で男が道の脇へひょいっと引っ張られた。
「あ!!」
フレイ達が急いでその後を追いかけ、脇道を覗くと、そこには少し小柄な男の後ろを走りながら逃げていく先程のヴァリスの姿が見えた。
「全く、どこまで逃げているんだあのバカは...」
その小柄な男は自身に着いた汚れを手で叩き落とし、はぁ、とため息をついた。
「逃がす、ってことは、貴方も先程のヴァリスのお仲間さんなんですか〜?」
唯が自身の武器を構え、戦闘態勢をキープしたまま問う。
男は唯の言葉が聞こえているのかいないのか、さして気にもとめずに唯達と逆方向へ歩き出す。
「無言は肯定って意味ですよ〜?拙わかりますぅ」
それを聞くと小柄な男はまた溜息をつきながら振り返る。
「貴様らに教えるつもりは無いし、知ったからと言ってどうもできないだろう。俺が誰であるかあの男との関係など、貴様ら華翠には関係のない事だ」
その言葉に今度はフレイが応答する。
「じゃあ、ヴァリスってことでいいんだよね?戦う意思がないってことかな、けど俺らには関係ないんだよね」
フレイが氷の礫を作り出し、その男目掛け攻撃する。
ズドドドッッ!
男はその攻撃を走りながらよけ、小さな声でこう話す。
「違うな、なぜなら俺は非戦闘員だからだ」
男は振り返ることはなく、その場を走り出す。もちろんそんなセリフが3人に聞こえている訳もなく、3人はすかさず後を追いかける。
「まったく、華翠の連中はしつこさだけで言えば、他に引けを取らないな。朝の眠さよりしつこい」
その小柄の男は先程のヴァリスの男とは打って変わって、身のこなしが軽やかだ。あれやこれやと話しながらでも3人から逃げられるようだ。
しかし、3対1、その小柄の男が不利な状況に変わりは無い。
だがその小柄な男はどこか余裕の表情を浮かべ、まるで行き先が決まっているかのような足取りで走り続けるのだった。
【郊外のフラワーガーデンにて】
それは一等地の外れにある、広さでいえば遊園地ほどある、大きなフラワーガーデンである。
温室も設備されており、四季折々の様々な花を1度に見ることができると、連日子供連れで賑わっている。
しかし、そんなフラワーガーデンも今日は休館日らしく、月明かりに照らされる花々を見に来る者はいなかった。
「...はぁ、少し疲れたな」
その小柄な男は息を整えつつ小さな声で呟く。路地裏で華翠の幹部3人と鉢合わせてから約数分。疲れたと言う口振りとは変わって息はあまり上がっていないように見える。
「袋の中のネズミって言葉知ってるかな?このフラワーガーデンに向かっていることは薄々感づいていたよ」
アシェルは額にじんわりとにじんだ汗を拭いながら落ち着いた表情で言い放つ。
「君は気づいていないだろうけど既に仲間には無線でこの場所を伝えている。応援が来るのも時間の問題だ」
アシェルのその言葉を皮切りに幹部3人が各々戦闘態勢に入る。
「仲間を庇ってまで、いったいお前は何がしたいんだ!」
フレイが声を張り上げたその問いに小柄の男は答えない。
途中から現れたその男と違い、長い鬼ごっこを続けていたため、3人は少し疲労が溜まっているようにも感じられる。
緊張感が漂う。
プツン。
何かが切れたような音、それを合図にアシェルと唯が一斉に切りかかる。
キィィィン!!!
刹那、響いたのは刃の擦れる甲高い音。
「待ちくたびれたぞ」
そこには少し大きめの剣を構える少女。その身なりは綺麗な赤いバラ色のドレスに身を包み、貴族のような服装である。
「無茶しないでください、ここは私にお任せを」
少女は勇ましい表情でこう言い放った。
「我が名はミザリー。そこを退け、私の花道を遮るのならば容赦はしない」
【フラワーガーデン:夜】
夜でも防犯の関係でライトが点灯している。暗がりの中で花々が怪しく光る。
「ふ〜ん、まさかこんな所で会うなんてね、ミザリー様」
にこり、と笑うのは唯だ。しかしその手に構える武器はしっかりと戦闘態勢であり、1ミリの油断もない。
「...手は抜きませんよ、軍人さん。正々堂々と」
ミザリーは能力で変化させた小型ナイフを小柄の男へと手渡す。そして、近くの花々を1本の剣へと変化させる。それは彼女がよく使う、真っ赤な剣。彼女の綺麗な瞳と似た輝きを持っている。
先程攻撃を受けた、少し大きめの剣はヒビが入ったため、新しい武器へと変えるのだろう。
「フェンリルさんは、下がっていてください。ここは私にお任せを」
フェンリル、と呼ばれた男は小型ナイフを受け取ると当然のように後ろへと下がる。女性が前に出て男性が後ろに隠れる図はどうにも異様だがこの2人にとってはいつも通りの流れのようだ。
「ミザリー、いいか、無茶はするな。俺から極端に離れるな。俺たちの目標は仲間を見殺しにすることでも敵を殲滅することでもない」
その言葉を聞いたミザリーは「勿論です」と答え、剣を構える。
応援が来た状態だが、ADELA側が不利なことに変わりはない。
ズドドドドッ!!
2人がアイコンタクトをとっている間へ氷の礫が5つほど振り落とされる。
礫はギリギリミザリーの頬をかすり、純白の頬にたらりと赤い血が流れる。
ミザリーはそれを手で拭うと残りの礫を華麗に避ける。
最後の礫を避けたその足元へ唯の武器がすかさず攻撃を入れる。軽い力で地面を叩いているように見えるが、能力を使い攻撃したその打撃は、大きな衝撃波となり、地面の敷き詰められたレンガを抉る。ミザリーのほんの少し崩したバランスを狙い、アシェルの大剣がミザリーの腕をかする。
その瞬間、僅か1分ほどだろうか。タイミングのとれた、無駄のない連携攻撃。これが華翠幹部の実力。下っ端のヴァリスであれば瞬きの間に殲滅されてしまうだろう。
でも、唯はやっぱりどこか悲しそうな表情をしているのだ。ここが、もし、どこか小さなカフェだったら。他愛のない会話をする事が出来たなら。
穏やかな日々が永遠に続けばいいのに。
神様はなんて意地悪なのだろう。
「ミザリー、バックだ」
フェンリルの小さな囁きにミザリーは無言で近くへと戻る。
ミザリーの腕と頬、その2箇所へフェンリルの手が触れる。すると先程まであった傷があっという間に元通りになる。
「痛くはないか」
「これくらいの傷、どうということはありません」
「傷は治せるが腕は生やせんからな」
「はい」と返事をし、傷が治ったミザリーは再び剣を構える。
がくん。
「!?」
すると先程よりも剣が重く、腕に鉛をつけているかのような感覚に陥る。
ついさっき、アシェルにかすり傷をくらった、右腕が異様に重い。まさか。
「まさか、大剣になにか小細工を...!?」
ミザリーの異変に気づいたフェンリルは再びミザリーの腕へ己の月のカケラの能力を使うが、腕は元通りの軽さには戻らないようだ。
「くそ...月のカケラの能力は俺の力でも書き消せないのか」
少し焦ったフェンリルの声に対し、ミザリーはやけに落ち着いていた。
「これしきのこと、大丈夫です。少し腕が重くなるくらい、大したことではありません。それに、月のカケラの能力とて無限ではないはず、いずれ終わりが来ます」
そう言い放つとミザリーは再び剣を構える。
それを合図にアシェル、フレイ、唯の3人が交互に統率の取れた攻撃をくりなす。
一撃、また一撃、ミザリーの腕には微かな、ほんの小さな傷がアシェルの大剣によって付けられていく。
増える傷をフェンリルの能力で治し、ミザリーは美しい花園で舞い続ける。
まるで彼女自身が、美しい一輪の花のように。
永遠を手にした薔薇は花弁を落とさないのだろうか。
【視点:ミザリー】
おかしい。フェンリルさんに治してもらっているはずなのに、先程から右腕の違和感が無くならない。
むしろその、地を這う霧のような、異様な嫌な感じは、時間が経つほど増していく。
つけられている傷自体は、微かな、小さなものなのに、腕にかかる重力は増す一方。
厄介な月のカケラの能力ですね...。しかし、いや、私ならまだやれるはず...。
手を抜いているわけではないのに、歯が立たない。防戦一方になってしまう。...相手が少し、悪い...。いえ、正々堂々と、勝たなくても良いのです。この場を凌ぐ事ができれば。
私は負ける訳にはいかないのだから。
正道に従い、"ミザリー・フローレス"の理想を歪めてはならない。
それほど重くないはずの愛剣が、今は初めて握る鉛のように硬く重く、冷たく感じる。
軍人のあの大剣が、腕に、剣に接触する度にその感覚は増していく。まるで自分の腕では無いかのような感覚。
「大丈夫か、ミザリー。無理はするな」
後ろからフェンリルさんの声が聞こえる。
やけに心配そうなその声を聞くと、あぁ、兄がいたらこんな感じなのかな、と思うこともある。
それなら、なおさら、私は己の力で守るべきものを守らなければならない。
「大丈夫です、これしきのこと。あとしばらく、しばらくの辛抱、ですよね」
そう、あとしばらくすれば、こちらにもチャンスが来ます。先程フェンリルさんと合流した際に見せたあの口パク。私の解釈が間違っていなければ、あともう暫くのはず。
しかし、油断の隙もない。腕の重さに加え、先程から折れた愛剣を作り直したり、近くの花をナイフに変え防御をしたりと、能力を少し使いすぎている気がする。
でもまだ体の不快感はない。副反応がでる、というのは一種の御伽噺だったのでしょうか...。
暫く、鉛と鉛がぶつかり合う音が響き渡る。右、次は左、そしたら左へ交わして、攻撃。鎌の攻撃を避けて、次に氷の礫。すかさずまた鎌。...さすが、華翠幹部。敵ながらその連携の取れた攻撃は賞賛に値します。
腕や顔にはいくつもの痣や傷が増え、それを月明かりが照らす。
ここがフラワーガーデンだから良かった。あいにく私は能力の心配はしなくても良いし、それにライトが常に着いているから、死角も少ない。
死角も...少ない?
悪寒。なぜ気がつけなかった。よく考えてみればしばらくフェンリルさんの声を聞いていない。
じんわりと滲み出る汗を構う暇もなく後ろを振り返る。
言葉が、出なかった。
【フラワーガーデンにて-夜-】
美しい花々が咲き誇る庭園で、血が流れる。
たらり、いや、そんな可愛いものでは無い。
フラワーガーデンに敷き詰められたレンガの溝にまだ温かい血がつーっと流れていく。
振り返ったミザリーが見たものは胸元を大きく剣で切り裂かれた、フェンリル。そしてその胸元から流れ出る、赤。
月灯祭の日の月も、こんな色になるのだろうか。
薔薇よりも赤い、まだ温かなそれは止まることなく、地面を濡らしていく。
そのフェンリルを後ろから首根っこを捕まえるように抑えているのは、先程までミザリーへしつこく攻撃をしていたはずのアシェルである。
「動かない方がいいよ。この男、だいぶ血を流しているし、俺の能力で体が重くて動くのも辛いはずだ」
ミザリーは唇を噛む。囮となってしまったフェンリル、変わらない2対3の状況。いや、1対3だろうか。
「要求はなんですか、華翠は無闇な殺しはしないと伺っています」
ミザリーは愛剣を手から離し、降参のポーズをとる。その愛剣からはガタンッと本来の重さ以上の重力を感じる。
キリッと伸びた背筋と鋭い眼差しでアシェルをみる。
「無闇な殺しをするかどうかは人によりますよぉ〜。隊員だって全員同じ、"人間"じゃないし。隊長さんは嫌がりますけど」
唯も1度鎌を納め、ミザリーの対話に参加する。もしもここが戦場でなく、何処か、静かで邪魔の入らないカフェだったら。
今まで通りの2人で居られたのかもしれないのに。
「いいえ、無闇ではありません。あなた方はADELAの幹部、ですよね。ADELAを殲滅することは我々の仕事です」
そう答えるフレイは未だに戦闘態勢である。
彼とてヴァリスのことを差別視しているわけではない。が、しかし。無条件で信用するに値する存在ではないのだ。
「一旦落ち着こう、フレイ。俺たちの体力も日中の勤務含めもうギリギリだ。無理な戦闘で負傷者を出すのも良くない。もうすぐで応援が来るなら俺たちがここでできることも限られている」
アシェルはやけに落ち着いていた。彼はフェンリルの首元へぐっと自身の大剣を近づける。
フェンリルはというと出血の量が酷く、いつもの小言さえも叩けるような状態ではなかった。
しばらくの沈黙が続く。その間もぽたり、ぽたりとフェンリルの腹部からは血が滴り、ミザリーの額にはうっすらと汗が滲む。
その静けさの中でも月だけが、強く光り輝き、何か、私たちに伝えようとしているようだった。
アシェルとフェンリルが立つその横には牡丹の花。真っ白い、牡丹。1輪だけ、綺麗な赤色の牡丹が目立つ。あれは、色なのか、それとも、血がついたのか。
ピピピッ。
それは華翠の隊員なら誰しもが持っている小型の無線機の通信音。それを聞いた3人は顔を合わせ、こくり、と露頷く。
「俺はこのヴァリスを本部へと連行する。おそらく途中で一般兵のみんなと合流できるはずだ。それに、この小さい体であれば…運ぶことも難しくはないしな」
そう言い放つとアシェルはフェンリルを肩に担いだ。だらり、と力の抜けたその体はもうミザリーへ声をかけることもできないし、ミザリーの言葉に反応することもできないだろう。
そうして残されたのは未だ両手を上げた状態のミザリーと、戦闘体制のフレイ、そして
未だ鎌を下げたままの唯の3人である。
「先ほどの無線、聞きましたよね。ユイ先輩。俺たちの最優先事項はこのADELA幹部の殲滅」
「そうですねえ。殲滅、しなきゃですねえ。…あんまり、暴力は好きじゃないんですが、指示ならば仕方がないですねぇ。あ、そういえば、先に手を出したのってどっちでしたっけ?」
唯はうーんと、顎へ手を持っていき考える。
「先に手を出したほうが『悪』だと拙は思いますぅ」
「何を言っているんですかユイせんぱ」
……。
「今日は月が綺麗だというのに、そんなに怖い顔をしていちゃ月が可哀想だよ」
それはフレイの耳元。小さな囁き。おそらくその声はフレイの耳にしか届いてないだろう。
やわらかいその声はまるで精神を支配されたかのような感覚に陥る。
「急に黙りこんで、どうしちゃったんですか〜?」
急にフレイが黙り込んだその状況を不思議に思った唯が、フレイの方へ視線を向ける。
そこにいるフレイは体こそそこにあるが、心がここにない、そんな虚な目で空虚を見つめている。その後ろで、白髪の長身の男が『しーっ」と 指を口元にもっていく。
その綺麗な長い指に誰もが見惚れるだろう。
「…ボス、様…」
唯がそう発するのと同じくミザリーも「ボス!」とその存在を‘’認識‘‘する。
…フレイはルアに、精神を支配されたのだ。
その隙を逃さず、ミザリーは即座に愛剣を生成しルアの隣へ着く。
ルアの能力に陥ってからおそらくまだ一分たらず。フレイがその違和感に気付くにはまだ早い。
「遅くなってごめんね、ミザリー。リルが基地にいたものに話をしていたようでね、部下から話は聞いたよ。…おや、リルはどこに行ったのかな」
そう話すルアはキョロキョロと辺りを見渡す。
「…フェンリルさんは…華翠に………連れていかれました。私の、私の責任です...」
そう発するミザリーは唇をキツく結ぶ。ルアはその言葉に「そうか…」とだけつぶやく。そして「それは大変なことになったね」と続けた。辺りを見渡したことで気付く。えぐれた地面の煉瓦、赤い水溜まりとそこからぽたりぽたりと華翠本部方向へと続く血の痕跡。
ルアは華翠本部とは逆方向からここへきたため、奇跡的にハチ合わなかったのだ。
ルアとミザリーが言葉を交わす間も、フレイは未だ精神を支配されたままであり、唯は銅像のようにピクリとも動かない。
「リル奪還もしなければならないが、その前にまず一度体制を整えようミザリー。君の怪我の状態もひどいようだしね」
「…はい」
ミザリーの返事を確認すると、ルアは唯に向かってこう言い放つ。
「…唯も、本当に帰るべき場所が‘’こちら側‘’なんじゃないかって思ってきた頃じゃないかな?」
ルアは確かにそう唯に言い放った。ミザリーはその様子を不思議そうに見つめる。
「君の望みが果たされるとしたら、やっぱり、俺の元以外あり得ない」
「拙は…拙は、‘’そちら側‘’にはいけないんです。貴方様の隣へ行くことは…だめなんです」
「…そう…。何度も言うようだけど、君の居場所はここにもあるからね。…今、彼の精神は支配しているからこの会話は聞こえていないと思うよ」
「拙はっ……」
「…君は暴力は嫌いだろう。俺たちはここでお暇させてもらうよ。もうすぐで彼も違和感に気づきいずれ支配も解ける。あとは任せたよ。いこう、ミザリー」
「はい、ボス」
ルアとミザリーは月明かりに照らされながらその場を後にした。
唯の声にならない声は、月だけには聞こえていたのかもしれない。
【むかしむかしのおはなし】
ある日、ひとりの小さなこどもが、教会のまわりをウロウロとしていました。
それを見つけたぐんじんさんは放っておくことができませんでした。
「だいじょうぶ?迷子かな?」
こどもは答えませんでした。ぐんぐんと教会の中へ歩いて行きます。まるで、こっちについてきて。と言っているようでした。
ぐんじんさんはそのこどものことが心配だったので、後をついていくことにしました。
大きな中央教会は、いつもは厳重な警備員がいるのに、その日はほとんど人がませんでした。
ぐんじんさんはおかしいな、と思いませんでした。その時点で、気付くべきだったのかもしれません。
教会へ入って、右へ、左へ。階段を登って裏通路へ。また階段を登って、隠し扉のような、不思議な扉を抜ける。
その間、こどもは一言も言葉を発することはなく、ただ黙々と軍人さんを案内しているようにも見えました。
がまんの限界がきた軍人さんは、不思議な扉の先にいるであろうその子供に声をかけました。
「君、いい加減どこに行こうとしているのか聞いてもいいかな」
しかし、その扉の先にこどもはいませんでした。あるのは、小さな机と椅子。そうして、一冊の物語が綴られた古い本。何度も読み込まれたのか、本のページはよれよれで、でも、表紙だけは頑丈な作りで、変な模様が刻まれています。
変な模様の中心には大きな、真っ赤の、お月様。まん丸で、血を吸ったみたいなそのお月様はまるで月灯祭の日に見れるお月様みたいでした。
お月様。お月様。太陽様とは言わないのに、月にはなぜか様をつけても違和感はないし、それが生活に染み込んでいます。
お月様。お月様。
これはあるひとりのぐんじんさんのおはなし。
この言い伝えを知っている人はもうこの世界にはいないのかもしれません。
そうして赤い月の月灯祭の夜、己の道を信じた者が命を落としました。彼らの死に様はまるで花がかれるかのごとく美しく、神様のようだったそうです。月にもし神様がいるのなら_____。
シナリオ▶︎小林キラ
スチル▶︎脳髄 家間 紫陽花 うぐいす 小林キラ