「そろそろ休んだらどうかな」
ラブは淹れたてのコーヒーとメロンジュースを片手に広場へ声をかけた。そこにいるであろう男はありがとう、と淡白な返答をする。
「ちょうど一休みしようと思っていたところだったんだ」
そういって男はテーブル上のタブレット端末の明かりを消す。まだ温かく湯気が上がるコーヒーを一口、口に含みゆっくりと瞼を閉じ瞳を休ませる。
「そんなこと言って、リルくんはいつも休まないじゃないか。お兄ちゃんは知ってるよ」
「揶揄わないで下さい」
含んだ笑いを見せるラブにそっけなく返事を返すフェンリル。いつもの見慣れた光景である。そんな他愛もない会話をしばらくした後、再び真面目な顔になったフェンリルが話を切り出す。
「もう少しで月灯祭が開かれる。人間の行動が活発化する期間だから、狩りを計画的に行おうと思う。最近ウチもメンバーが増えた事もあって貯蔵庫にある血の数がいくらあっても足りなくてぎりぎりだ」
そう言って再びタブレット端末を操作し始める。
「ウチは出来るやつほど仕事を選り好みするからな、割り当てが一番時間がかかって困る。そろそろ幹部全員を集めて打ち合わせをしたいな…」
「う〜ん、それは否定できないな…。特に幹部は、ね」
これには流石のラブもあはは、と苦笑いを溢すことしかできなかった。微動な振動で泡がのぼる炭酸飲料は時として勘よりも早く人の訪れを教えることもある。
メロンクリームソーダの泡がこぽりとあがった。
軽快な足取りでテーブルを覗きこむ影が一つ。
「ちょっと〜二人して何話してんの?面白いことなら僕も混ぜてよ」
外出帰りだろうか、鼻歌が聞こえそうな声色のアルがフェンリルとラブの間に顔をひょこりとだした。
「アル、お前の世話に手間がかかるって話をしていたところだ」
見るからに眉間にシワを寄せるフェンリルの手は確かに胃へと動いていた。それには流石のラブも笑いを堪えられない、といった表情で話に加担する。
「ははは!間違いない!まあそこがアルらしいんだけどね。ところで今帰宅かい?フェンリルもそろそろお腹が空く頃だと思って軽食を作っておいたんだ、アルも食べていきなよ」
ラブが席をたつと同じく、来たばかりのアルの体は出口へと向いていた。
「いや〜ちょっと面白そうな匂いがするからまた外に出る予定。別に軽食はいらないよ」
「そう言って、どうしてここのみんなは食事を抜きたがるのかな。今キッチンから持ってきてあげるよ!俺のお手製キッシュ!今日は食べるまで諦めないよ」
あからさまにうげ、といった表情を浮かべるアルとニコニコとキッチンへ向かうラブ。二人の食うか食わせるかの戦いが今日も始まろうとしていた。
「そうだ!フェンリルの分もキッチンにあるからちゃんと食べるんだよ!」
バタバタと二人分の足音が遠ざかる様子は夏の夕立、とでも表現するべきだろうか。
いいや、まるでネズミとそれを追いかける猫、なんて。
「…はあ、やっぱりウチには自由人が多すぎる。さて、この大きな案件を誰に頼むべきか…。もう一度ボスと相談する必要があるな…」
フェンリルはぐいっとのびをしながらキッチンへと向かった。
太陽が登ろうとしている。
【華翠本部:会議室にて】
「帝国軍上層部から伝達があった。月灯祭に関することだ」
そういいながら、紙の束をバサりと持ち上げるのは、たった今伝達を受けたであろうレイモンドである。
時は朝方、それも早朝。帝国軍、それも月血鬼討伐部隊の華翠ともなると、朝ものんびりとしている暇はない。
朝から身なりを整える者、若干眠たげな表情をしているもの、既に鍛錬終わりの者、遊んだ帰りなのかやや服装が乱れている者...。
身なりや行動に問題がみられる者もいるが全員、実力を兼ね備えた実力者であることには変わりない。
「あら、隊長に直接伝達が入るだなんて。珍しいこともあるのね」
そういいながら髪をはらりと払うのはアレクセーエフである。レイモンドから紙の束を受け取り、皆の前へと配っていく。
華翠は帝国軍のなかでもかなり融通がきく部署であるが、未だに連絡や報告書等が紙媒体なのはどうにもアナログである。ぶつくさと文句を言いながら報告書を書く姿がよく目につく。
「ふーん、なるほどねぇ〜」
配られた紙の束を見ながら声を漏らすのは期待の新人、フレイである。その隣でセツキも真面目に文書に目を通す。
「文書の内容は後でよく読み込んでおいてくれ。今日の会議ではもっと重要なことを話し合いたい」
隊長の一声に皆一斉に紙から顔を上げる。
「上層部から今日伝えられた、月灯祭に関わる最重要任務だ」
ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえそうな静粛。
「月灯祭ではヴァリスの行動が活発化することは周知の事実だと思うが、この機会を逃すわけにわいかない。我々華翠の中から潜入捜査に向かわせる」
華翠が結成されてからしばらく経つが、大掛かりな潜入捜査というのは過去に記録がない。
「どうやら今の華翠の実力が過去最高、だなどと上層部から言われてね。これは絶対に失敗が許されない重要な任務だ」
「…あの…その、潜入捜査、は、さ、流石に全員で行うわけではないですよね…?」
恐る恐る手をあげながら発言するのはロベリアである。一同がその発言に確かに…といった顔で共感の意を示す。
「その通り。流石に全員では無理だね。そこでこの中で我こそはという者はいるかな。実はメンバーは全てこちらに任せる、というのが上層部からの指示だ。一応俺の方で候補は考えているのだけれど」
「他の業務も減らされるどころかさらに増やされているから、そうだね…人数は幹部2、3名、といったところかな。危険な任務だからね、幹部以外には悪いけど他の任務に当たってもらいたいと考えている」
ここ最近、活動が活発になっているヴァリスの影響で華翠は人出が足りなすぎて火の車だ。中央区の警備の他に農村地帯の見回り、他にもすることが山積みだ。
レイモンドの考えに皆異論はないらしく、再び沈黙が続いた。
「はい。隊長の方で候補があるなら俺はそれでいいと思います。みんなも多分そうだと思います。どう?」
手を上げながら発言をするのはアシェルだ。皆に問うように意見を促す姿はさすが長男と言ったところだろうか。
「異論はありません」「それでいいと思うよ」
皆それぞれ同意の意を表した。その様子を確認したレイモンドはこくりと頷くと再び説明を始めた。
「それではそうだね、ロックハートとヴェリルさん、頼めるかな」
その発言に二人は驚く様子もなくわかりました、と返事をする。
二人はバディを組んでいることもあり、息のあった戦闘や行動が見られる。適任と言えば適任だろう。そのことを幹部の皆もわかっているため異論はなかった。
「よかったよ。潜入捜査の対象は上からの指示で声に出して言えなくてね。今から配る紙を見てもらえるかな」
その紙には極秘と大きく書かれていた。
〈潜入捜査対象箇所〉
・〇〇地区 教会
「なるほど、確かに怪しそうかも〜。行った事ないけど」
そう興味のなさそうな声で呟くのはアルフレードである。
「それじゃあ二人は詳しい説明をするからここに残ってもらうよ。残りのみんなは各自それぞれの業務に戻ってもらって構わないよ」
そのレイモンドの言葉を境に皆それぞれの業務へと向かうため、席を立ち始めた。
「あ、言い忘れていた。月灯祭も近いし大きな健康診断を近々行うみたいだよ。頭の片隅にでも置いておいてくれ」
会議室に差し込む日差しが眩しい。こんな天気をいい天気だと、割り切ることができたならどれほどよかっただろう。
この中に裏切り者がいる可能性は0ではない、なんて。
シナリオ▶︎小林キラ
スチル▶︎うぐいす 小林キラ