【華翠-とある一室にて-

 

通称-鳥籠-。それは華翠本部の二階に造られたヴァリス専用の拷問部屋である。V1からV10までの計10部屋があり、捕虜されたヴァリスは主にここで尋問や拷問が行われ、昼夜問わず悲鳴が聞こえる。

 

とある一室。その男は手足を縛られた状態で気を失っていた。

原因は大量出血と、飢餓状態、と言ったところだろうか。

フェンリルはひどい頭痛とむせかえるような吐き気で目が覚める。

ここはど、こだ

その視界に広がるのは真っ白な空間。視界の端に、ひとり、いや、2人、程の人影が窺える。

 

「どういうつもりだ」そう声を出そうとしたその喉は虚しい空気だけを口から出すだけだった。

 

遅いお目覚めのようだ」

 

それはフェンリルの後頭部から響く、どこか重厚感のある声。その声の主を確かめようと、首を後ろに回そうとすると首元にひんやりとした感触があった。

それはフェンリルの両脇で武器を構えるアシェルとアレクセーエフの刃である。

 

….....随分と手厚い歓迎だな……。それになんだ、この口のものは俺たちのことをなんだと思っている。そこらへんの害獣と同じ扱いか

そう話すフェンリルの口へは捕虜ヴァリス用の口輪がつけられていた。兵士が吸血されることを防ぐためのものだろう。

「減らない口だな。自分が置かれている状況がわかっているのか」

 

アシェルはギッとフェンリルを睨みつけながら、己の武器をフェンリルの首へと押し付ける。糸をピンと張ったような、緊迫した空気が流れる。

俺を、殺していない、ということは、俺にまだ利用価値があると解釈した。要件はなんだ

 

相変わらずフェンリルはどこか余裕の態度で話していた。それはこの覆らない状況を誤魔化すための強がりからなのか、本当に何か策があるのか。

しかし、大量出血と、しばらく血を口にしていないことから起こっている飢餓状態の症状は深刻そうだ。額には大粒の汗が浮かび、顔色もひどく悪い。息も少し上がってきている。

 

「物分かりが良いようで助かる。君にはいくつかお願いしたいことがあってね。それをのめないのならここで君を処分する。これが上からの指示だ」

 

そう話すレイモンドに、フェンリルはフンっと鼻で笑った。

………お願い、か命令の間違いだろう

「さっきから黙っていれば!!この減らす口が!」

「辞めなさい、アッシュくん」

「でも...!」

 

ぐっと刃をフェンリルの首に食い込ませたアシェルを止めたのはアレクセーエフである。

「急ぐ気持ちも分かるけど、今は焦っては行けないときよ」

 

「まぁ、...いいだろう、その命令...交換条件なら...聞いてやってもいい」

 

交換条件。そう口掴みながらレイモンドはフェンリルの前へと歩く。

 

「そうだな。俺も無闇な殺しはしたくない。取引と行こうか」

 

 

【同日:ADELA本部にて】

 

「撒いた種が、少しずつ芽吹いているようじゃないか」

 

そう話すのはにっこりと笑う、けども眼差しは冷ややかなルアである。氷のように冷徹な瞳がぐらりと、紅く揺れる。

 

「んにゃ〜?それは地下菜園に最近植えた花のことかにゃ〜?」

「そうだね、そっちのこともあるけど」

「華翠、ですよね」

 

すかさず補足をしたのはミザリーだ。その目の下には隈ができており、昨夜はあまり眠ることが出来なかったのだろうか。

それにこくりと頷くルアは続ける。

 

「あちらに花を摘まれる前に、こちらで枯らしておかないといけないね」

「ん?それは比喩?それとも揶揄?」

 

お手製のチョコレートを口にしながらヴェロニカが不思議そうに問う。血液がはいったそのチョコレートは、甘くて、すごく、美味しい。

 

「どちらだろうね。それでも花には太陽が必要だろう?日光がなきゃ種は芽吹かない。俺にとって、ここの全員が太陽だよ。誰一人として簡単に手放すことはできない」

 

ルアのその言葉に、その部屋の空気がしんと静まる。いや、その部屋にいた幹部たちの考えが合致した瞬間、とも言えるだろう。心音までが一致したような、そんな感覚。

 

……フェンリルおにいさまは戻ってくるの?」

「ああ、オリビア。みんなで取り戻しに行こう、そしておかえりを言わなくちゃね」

 

「全く手のかかる子だね、」とラブが笑う。

 

「ふふ、楽しそうじゃん。僕ちょっとワクワクしてきたかも」

「遊びに行くわけじゃないんだぞ〜。まーちょっとは面白くなりそうだけどな」

少し浮かれた声を出すアルに賛同するのは用意したチョコレートで甘くなった口をコーヒーで整えるヴェロニカだ。

 

「必ず、必ず、助け出します、私が、私が必ず助け出します」

ミザリーは小さな声でそう言い放つとぎゅっと拳を強く握りしめる。

 

その様子をみたルアは、ミザリーを安心させるように、ポンと頭の上に手をのせる。

 

「ミザリーひとりのせいではないよ。みんなで、仲間を取り戻すんだ」

 

それに...と付け加えたルアは言葉を詰まらせたあと、小さな声で「信じることしかできないからね」と呟いた。いや、呟きにも満たない、空振りの独り言が空虚へ消えた。

________

3日後-夕方-

【華翠本部-鳥籠にて】

 

 

「神様はいると思うか」

 

 

それはどちらから発した声なのだろうか。

しばらく沈黙が続き、すぅっと息を吸う声が聞こえる。

 

「俺は神様なんて、信じていないけどな」

 

先に回答を示したのはフェンリルだった。

 

「下らない話をするのが好きなんだな」

 

そう話す彼は未だ手足を縛られ、口輪を着けたままである。その向かいに座るのは、刀を携え椅子に腰かけるレイモンドである。

 

「時間潰しだろう。これも君の出した条件じゃないか。...あぁ、なんと言ったか、そういえば聞いていないな。名前を」

 

真っ直ぐと視線をむけたレイモンドはそうだ、と付け加え「俺はレイモンド。レイモンド=ゾア・オリスト」と名乗った。

先に名乗るのが礼儀、と思ったのだろうか。しかし、フェンリルは仏頂面でそっぽを向くのみである。その姿はまるで、拗ねた子供、とでも言うのだろうか。

 

「これから殺すやつの名前など聞いてどうする」

 

「殺すかどうかは君次第だ」

 

レイモンドのその言葉は白い箱に長く響いたように感じた。

 

「条件1

 

そう言い放つとレイモンドは人差し指で1を表す。

 

「誰でもいいから一定量の血を飲ませる。これに関してはすぐに叶えてやっただろう。俺の血を与えた」

 

そう。今から3日前。フェンリルはいくつかの交換条件をだしていた。そのうちの一つがこれだった。この条件を出した際、レイモンドは自身の刀で己の腕へ刃を立て、すぐに血を与えた。

そのことにアレクセーエフとアシェルは驚きと困惑が混じっていたが、飢餓状態で死なれることの方が損害と考えたレイモンドの的確な判断だ。

 

「条件2

 

レイモンドの指が2本に増える。

 

「飲んだ血の効果が効かなくなる3日後まで手出しをしない。その際、この部屋には俺と貴様以外をいれない」

 

それに対し、フェンリルはふんっと鼻で笑った。

 

「人が多いのは嫌いだ。それにうるさいのもな。...3日後まで待つのは貴様らの為だ。万が一、俺が脱走したとして困るのは貴様ら華翠だろ」

 

この鳥籠からの脱走なんて決してできないのに。これはフェンリルなりの強がり、なのか微かな希望論なのか。

 

...条件3

 

レイモンドの指が3本に増える。

 

「今日の18:00まで待つ」

 

部屋に置かれた時計は丁度17:50を指した所だった。

 

「この3つの条件を満たせば。満たせば、ヴェリルさんを治す」

 

それまであと約10分。最初の他愛無い話題もその時間潰しに過ぎない。

 

「あと10分でこちらの条件も叶えてもらうからな。君の処遇はその後に決まる」

 

っは、処遇もクソもあるか。捕虜したヴァリスは皆殺し、そうだろう。偽善者ぶるんじゃない」

 

フェンリルはというと依然反抗的な態度は変わらない。

 

「こんな惨めな死に方をするくらいなら」と呟き、くっと唇を噛み締めた。尖ったその歯は唇を傷つけるには十分だった。じんわりと口の中に自身の血の味が広がる。これがもし、稀に食べる、あのチョコレートの味だったら、なんて。

 

何度もいうが俺は無闇な殺しはしたくない主義だ。上がどうであろうと、この、レイモンド=ゾア・オリストには殺害意欲はない」

 

沈黙。その間約1分。

先ほどまできっと睨みつけていたフェンリルの鋭い目つきが緩んだ。それはADELAでの何気ない、くだらない日常を見守る時のような、そんな眼差し。捉え方によっては、諦めの表情。

 

もう腹を括るか。どうせ貴様らのお偉いさんは俺を殺すだろうしな。最後くらいは楽しくお話でもするか」

 

はあ、とため息をつくと、「フェンリル。俺はフェンリルだ。別に覚えなくてもいい」とぶっきらぼうに名乗った。

 

「あと…8分か。それが過ぎればこうして華翠の隊長サマと二人きりでお話しする機会なんて"死んでも"ないだろうしな。そうだ、交互に質問し合うってのはどうだ」

 

時計の時間を確認したフェンリルは時間潰しをするようだ。この3日間ほとんど口を聞かなかったのに、急に饒舌に話し出し、ましてや交互に質問しあうなど。正気ではないことは確かに感じられた。いつもの彼がこんなに人と積極的にコミュニケーションをとることなど滅多にないし、ましてや質問のしあいなど。

 

それに対しレイモンドは少し考えたあと、「いいだろう。時間までだ」と答えた。

 

「それじゃあ俺からだ」とフェンリルから質問をするようだ。

 

「その右目は怪我か」

「生まれつきだ。フェンリルといったか、家族はいるのか」

 

生母は死んだ。父親はどこかにいる。知らん」

「そうか、母親が野暮なことを聞いた。すまない」

 

「ヴァリスなんかに謝るんじゃない。隊長サマが。次は俺の番だ。身長は」

「随分と、一般的なことを聞くんだな。180cmだ」

 

フェンリルのあまりにも普遍的な質問に少し驚きつつもレイモンドは淡々と質問に答えていく。

 

そうして二人はいくつかの他愛のない質問を交わした。交互に答える、というルールを逆手に取り、自分が答えた後に「基地の場所を教えろ」だとか「仲間の能力を教えろ」だとかやろうと思えばいくらでもできたはずだ。

だが二人ともそれをすることはなかった。

 

時計の針は1759を射したところ。次はフェンリルが質問をする番。あと1つ質問を交わせばもう約束の時間になるだろう。

 

おそらく次が最後だな。神様はいると思うか」

 

真っ直ぐと、真剣な表情でフェンリルはレイモンドの瞳を見据える。

 

「神様は、本当にいると思うか?月は本当に神様なのか?」

 

その質問は少し前にレイモンドがフェンリルにしたもの。‘’神様はいると思うか‘’神様は、本当に、いるのだろうか。

 

レイモンドは息を吸う。「俺は神様は」その喉が次の音を発しようとした、その刹那。

 

『ゴオオオオオン!!!!』

 

突如響くのは、爆発音のような何か。隔離されたこの鳥籠の中では外の様子など確かめようがない。だが、大きなその音とぐらりと揺れた地面の感覚で、ただ成らぬことが起きていることはわかった。

 

「なんだ、華翠ってのは爆破訓練もするのか、騒がしい場所だな」

 

フェンリルはあからさまに不満を呟く。時計の針はもう1800を過ぎている。「聞きそびれたじゃないか」と少し残念そうなフェンリルと代わって、『ゴオオオオオン!!!!』と大きな爆発音がもう一度響く。今度は先ほどよりも音が近い。

 

...これは爆破訓練なんかじゃない」

なんと?」

 

『ゴオオオオオン!!!!』

 

次の爆発音はおそらくもうすぐそばの部屋。確実に、この部屋に近づいてきている。

 

まずい!そうレイモンドがそう思った時には、『ゴオオオオオン!!!!』という今までに比べれば少し小さめな爆発音と共に鳥籠の天井が大きく崩れる。

 

「しまった!!」

 

崩れ落ちてくる瓦礫がレイモンドの頭上目掛け滝のように降ってくる。もちろん、容易く後方へ身をこなして避けた、が、腕には鋭利な瓦礫で微かな傷が作られた。あと数秒でも避けるのが遅れていれば瓦礫でぺしゃんこになっていただらう。

瓦礫を避けることに神経を研ぎ澄ましたせいか、この砂埃のせいか、レイモンドはフェンリルの姿を見失う。

 

椅子に括り付けられた彼は、逃げようにも逃げられない。もしあの瓦礫の下にでもなれば。

 

最悪の可能性を考えたレイモンドの鼓膜に聞き覚えのある懐かしい声が響いた。

 

「お探しのものは見つかったかな」

 

ああ、幼い頃に一度聞いたことのある、懐かしいけども、確かに変わってしまったその声の主をレイモンドは容易く想像することができた。

 

その声の主の顔を見たフェンリルは一瞬目を大きく見開き、「███ ___?」と小さな声で呟いた。いいや、そんなはずなど無いのに。彼の体力はもう幻覚が見えるほどすり減っていたのだ。そう、███がここに来るなど、有り得るはずがないのだから。

 

「久しぶりだね、レイモンド。うちのリルが随分とお世話になったね」

ルア。話したいことはたくさんあるが、とりあえずその子は今は華翠のものだ」

「モノ、だなんて。ヴァリスだって一つの完成された生命体だよ」

「今はそんな話をしているんじゃない。そいつにはしてもらわなければならないことがある」

 

昔のように、対等に、肩を並べて他愛のない話ができたなら。

かつての友人だった頃の2人に戻ることはもう出来ないのだろうか...

1日だけ、2人で遊んだ、あの街の匂いも、草むらの感触も、触れた肌も声も、あの2人の子供の笑顔も。

 

決して偽物ではないのに。

 

しばらく沈黙のままレイモンドとルアは見つめあった。その間にも複数回の爆発音が聞こえ、地面がぐらりと揺れる。

その状況を一人理解できないフェンリルは頭にはてなマークを浮かべることしかできなかった。今はもう幻覚ではなく、しっかりとそれを"ルア"だと認識している。

運よく天井から落ちてきた瓦礫はフェンリルへは当たっておらず、未だ椅子に括り付けられたままの彼の元へ天井からひょっこりと顔を出したのはラブだった。

 

「世話のかかる子だね、全く。お兄ちゃんがお迎えに行きましたよ」

ラブは少し背伸びをしたような、そんな表情で話す。

「お、に、いさん

そのラブの笑った顔を見て安心したのかフェンリルはがくりと意識を手放し、椅子に項垂れた。

「ありゃりゃ、無理に気を張ってたみたいだね。この3日間、随分と神経をすり減らしたみたいだ」

 

「よっこらしょ」と天井から部屋の中へおりたラブは深い眠りについたフェンリルの体を肩へと担いだ。天井からたらりとぶら下げた紐は登りやすいように編み込まれており、それを使い再び天井___上階へと登る。

 

「ラブ、リルは大丈夫かな」

「うーん、寝不足と軽い飢餓状態、って感じかな。しばらく眠れば大丈夫そう」

「そう、ならよかった。俺達も帰ろうか」

 

ラブと会話をしながら、ルアも上階へと移動しようと動く。レイモンドとてもちろん黙って見ている訳には行かない。だが、だがしかし。

21では、あまりにも_____あまりにも不利すぎる。

身動き出来ずにいたレイモンドの足元へ、拳ほどの物体が転がってきた。

 

「それは俺達からのささいなプレゼントだよ。いい夜を」

 

そうルアが言い放つと、その拳ほどの物体は大量の煙を吐き出した。

その煙幕に視界を取られながらも、ルアの手を掴もうと伸ばしたレイモンドのその手は宙を空振り、そのまま地面へと吸い込まれた。

 

 

もう対等に、手を取り合うことは叶わないのだろうか。

 

 

催眠ガスによって、レイモンドは一時的に意識を手放すのだった。

 

【華翠宿舎-1-

少し前から響く爆発音に、華翠本部は緊急事態を察知していた。

華翠本部は帝国軍本部とは少し離れた別棟の中にあり、その隣には宿舎も完備されている。今回の爆発騒ぎは何故か、帝国軍本部ではなく、華翠本部と宿舎のみを狙った犯行であった。

 

華翠本部内にいた非番の者はこの緊急事態に消化をする者、犯人を探す者、救助をする者とわかれて対応していた。

華翠幹部陣も例外ではない。

セツキとアレクセーエフはこの緊急事態を素早く察知していた。

「鳥籠には今、隊長と捕虜ヴァリスが二人きりのはず……。レイモンドさんの身が心配だわ」

アレクセーエフは己の武器を準備しながら話す。

 

「レイさんは強いからね、己の身は己で守れるだろうけど華翠本部には情報部の人たち、戦いに長けていない人たちもいる。その人たちのことが僕は心配だ」

そう話すセツキも同じく、己の武器を手に持つ。

二人のその目は既に天空から獲物を狙う鷹の目のよう。

 

外に出ている隊員には今緊急招集の無線が入ったことだろう。その隊員たちが戻ってくるには早くてもあと30分はかかる。

 

「私たちで、食い止めなければならないわ。できる?セツキ」

「当たり前でしょ、師匠。僕をここまで強くしたのはアレクさんなんだから」

「ふふ、随分と立派になったわね、いくわよ」

 

ふたりは宿舎を後にした。

 

【華翠本部-1-

2人は華翠本部の長い廊下を慎重に進んでいた。2人とも銃使いのため、それぞれが一定の距離を保ちながら進む。前衛はアレクセーエフ。その後ろを着いていくのがセツキだ。

その廊下はいつもの見慣れたものとは違い、爆破の影響で空気中には砂埃がうっすらと漂い、壁も所々破壊されている。

少し前から爆発音は途絶えている。これ以上の被害が出ることは無いだろうが、瓦礫などによる二次被害の影響が恐ろしい。

 

「セツキくんは後ろにも気をつけながら進んで」

アレクセーエフは1歩ずつ、隠れた敵にも注意しながら進む。ここに来るまでに何人かの情報部の隊員を助けた。夕方ということもあり、そこまで華翠本部に人はいなかったようだ。

それが幸いなのか。

 

「アレクさんこそ、気をつけてよね」

しばらく続く会議室を抜け、次は1階に作られた調理室まできた。

するとセツキの足がぴたりと止まった。

 

「セツキくん、気がついた?」

どうやらその変化にはアレクセーエフも気がついたらしい。調理室の中に、誰か、人がいる_____

 

耳を澄ます。

 

_______さっすが華翠!調理器具も一流だねぇ!」

_______...!」

____________

 

それはひとしきり揃えられた調理室の道具へ関心の声を上げる会話。

 

アレクセーエフ達はその声を聞いただけで軍の者でない事はすぐにわかった。

 

_____ところで華翠ってのは隠れんぼもへったくそだな」

 

途端、廊下一面に炎があがる。その炎はアレクセーエフ達2人を逃がすまいと、帰路を塞ぐ。

通常の炎とは違う、青緑色の炎にアレクセーエフ達は驚き、数歩後ろへ後ずさった。

 

「やっりぃ〜!2人確保〜!」

 

すると今度はその炎がじんわりと近づいてくる。調理室は1番端の部屋の為、これ以上廊下を先に進むことは出来ない。アレクセーエフたちは、その青緑色の炎に追い込まれるかのように調理室の中へ、1歩、また1歩足を踏み入れる。

 

「そ〜れ!そ〜れ!」

 

その掛け声と共に青緑色の炎がまたひとしきり焔をあげる。

先程まで調理室の中にいたはずのその声が、どうして廊下側から聞こえるのだ。そんな問の答えを考える間もなく、2人はあっという間に調理室の中に押し込まれた。

 

「なんで〜?と思ってるんだろうな〜。けど答えは自分で考えた方がおもしろいでしょ!わたしせんせ〜じゃないから教えんの下手くそだし!」

その声はまたも廊下側から聞こえる。

 

_______さっすが華翠!調理器具も一流だねぇ!』

 

先程も聞いたそのセリフが調理室の中から再び聞こえる。まるでレコードのように。

 

「まさか...さきほどの声は事前に撮っていたものだったのね...。随分と頭がきれる方がいるようだわ」

アレクセーエフはこの状況に苦い表情を浮かべた。

この調理室は通常のものよりもかなり広い。だからといって己の能力を使ってしまえば、被害はより増える可能性も高いし、なによりセツキもいる。

声の主の正体も未だ分からない。

焦る。手にじんわりと汗が滲む。

「すいません、お姉様。わたし、逃げ遅れちゃって...

それはアレクセーエフの後ろ、先程までは感じなかった気配。アレクセーエフはびくりと肩を揺らして、振り返る。そこには小さな子供。クマのぬいぐるみを抱え、涙目でこちらを伺っている。

 

あまりにも、怯えたその表情に、一瞬でも敵かもしれないと殺気を放った自分を少し戒めたくなる。

 

「あら、お嬢さん、どうしてここに...?迷い込んじゃったのかしら、ここは危ないわ_______よ」

アレクセーエフがその子供へ手を差し出した途端、小さな子供はその小さな手に握った注射器のような物で、差し伸べられた手へと何かを打った。少量ではあるものの、見た事のないそれは恐ろしいこと極まりない。

「ごめんなさい、でも、あたし、頑張りたいの」

 

そう言い放つと小さな子供の持っていたクマのぬいぐるみが突如巨大化し、その子供を守るようにと立ちはだかった。

 

「アレクさん!」

 

セツキが駆け寄る。アレクセーエフにまだ症状はでておらず、どうやら即効性のものではないらしい。だが、指先が痺れるのか、手を握ったり開いたりを繰り返している。

「くそっ...!毒か...!毒を先ずは抜きましょう、」

「おっと〜!そうはさせないぜ〜!」

 

毒抜きを行おうとしたセツキとアレクセーエフの間へ青緑色の炎が走る。

 

「くそっ!」

「ここはいいね〜!アルコールもたくさんあってあたしの調子もうなぎ登りって感じ!」

セツキは青緑色の炎の主をぎっと睨む。初めてみるその姿は、白狼の髪色に眼帯をした大人の女性。セツキ達とその女性は調理室の一番前と一番後ろ、距離を保っている。

 

「やめてよね、あんたみたいなガキンチョに睨まれて興奮するような趣味はないからね」

 

ぺっぺっと手で払う仕草をする。

その様子にセツキは怒りの表情を隠せない。

 

「えーっと、お前確かセツキでしょ、んでそっちがなんだっけ、アレクセーエフ。そっちの人の能力がちょっと厄介だからね〜封じさせてもらったわ」

「な、なにを...!」

「自然毒!知らない?大麻と違って数日で抜けるから心配すんなって!」

「そんな話をしているんじゃない!!!」

 

セツキは自身の武器を構え、もう一度ぎらりと睨みつける。

 

「何故名前を知っている」

「さぁね〜」

「何故能力を知っている」

「さぁね〜!」

...っ!解毒剤をよこせ!!」

「解毒剤ぃ?そんなロマンに欠けるもんあるわけねーだろ!」

 

「おのれ!」そう叫ぶと共にセツキは己の武器で銃弾を発射した。

その距離約10mほど。その銃弾は、確かに的を捉えていた。


シナリオ▶︎小林キラ

スチル▶︎うぐいす 小林キラ