【華翠本部】
アシェルは農村地区での任務へ向かっている最中だったが、緊急の伝達を受け戻ってきていた。
アシェルがみたその光景はつい今朝方の華翠本部とは180度違うものだった。爆破によって破壊された窓や瓦礫の山。どうやら火事は起きていないようだが、中の人が心配だ。
2階の鳥籠には捕虜ヴァリスがいる。急いで向かわなければ。
【華翠本部:2階 鳥籠】
ずいぶんと、長い間眠っていたかのような感覚だ。
瞼は泥のように重いのに、何故だか体は霧のように軽い。
そうか、夢を見ていたんだ。
幼い頃に遊んだあの、思い出の夢。...夢の内容を詳しく思い出そうとすると、ずきりと頭が傷んだ。
自分の頭を抑えたレイモンドは、ゆっくりと、まぶたを持ち上げた。崩れ落ちた瓦礫の山。近くに人の気配はない。
自身の体を持ち上げ、壁に寄りかかる。「さて、どうしたものか...」隊長なのに不甲斐ない。
「...!おーい!隊長!!」
入口の方向から元気いっぱいの声が響く。
そこに居るのは、フレイとアシェル。フレイが「大丈夫ですかー!」と元気いっぱいに手を振っている。
「あぁ、おそらく催眠ガスだろう。暫く眠ってしまっていたが、俺の体には傷一つ無い。...しかし、捕虜ヴァリスに逃げられてしまった」
それを聞いたアシェルは悔しそうな表情を浮かべたあと、ぐっと唇を噛んだ。
「けど、まだ中にいる可能性は高いです。それに、いくらヴァリスとて、上階から下へは飛び降りられないはずです、さすがに死んでしまいますから」
そのアシェルの話を聞いたフレイはぱっと思いついた顔をし、「じゃあ俺らは下へ行って敵を待ち伏せすればいい訳ですね!」と明るく答えた。
「この状況をみるに、ADELAは帝国軍本部へは爆破をしかけていない。おそらく本部へは行っていないだろう」
そうして、レイモンド・フレイ・アシェルは鳥籠を出るのだった。
「いや、彼が約束を守っていれば、もしかすると...」
レイモンドの小さな独り言にフレイが不思議そうに顔を見ている。「いや、大丈夫だ、行こう」
【華翠本部:2階】
「んにゃ〜、狩れるだけ狩ったし、そろそろアタシたちのお仕事は終わりかにゃ〜?」
「えぇ、そうですね。...瓦礫に埋もれてしまった方々から血を採取することができました。これだけあればしばらくは大丈夫でしょう」
そして、「それに」とミザリーは続けた。
「今頃ボスたちがフェンリルさんを助け出しているはずですから」
その様子を見たニーナは「そうだね〜」と言いながらカツンカツンと歩みを進めた。
「じゃあそろそろアタシ達は帰るとしますかにゃ〜」「ええ、そうですね」
そうして2人は華翠本部2階のとある会議室から外へ出た。
刹那、生き物のように伸びた刃先がニーナの頬を掠った。
「聞きなれない声だと思った、貴様らか」
その刃を伸ばしたのは、レイモンドであり、その声はどこか怒りに満ちていた。レイモンドの月のカケラの能力で姿の変わった刀は生き物のように伸び縮みをしている。
「うにゃ〜、バレちゃった。しかも見たことある顔がいるにゃ〜、う〜ん、ピンチかも」
ピンチかも、という割にニーナはそこまで焦っていないように感じる。
「とりあえず、逃げる!」と言いながらニーナはレイモンド達とは逆方向、大広間へ走り出した。「ミザリーちゃんも、早く来ないと殺されちゃうにゃ〜」後ろを振り向きながら手招きをされ、「は、はい!」とミザリーはニーナの後を追った。
いつだって追う側は華翠の仕事。
レイモンド達もすかさず後を追う。隙を見てはフレイが攻撃を仕掛けるが、小柄なミザリーは軽やかに避け、ニーナも軽い身のこなしでひょひょいと猫のように避ける。
数回の爆発によって床が抜けている部分が多く、ここが2階ということもあり、あまり大胆な攻撃をすることが出来ない。
「う〜ん、ミザリーちゃんは近距離戦をヨロシク、アタシは後ろからカバーするにゃ」
「把握致しました」
こうしてミザリーが前衛、ニーナが後衛の戦闘体制が整った。対する華翠は、言葉を交わさずとも、アシェルとレイモンドが前衛、フレイが後衛の形を作る。
「捕虜したヴァリスが逃げた。彼にはしてもらいたい事があったんだよ。...君たちを身代わりにしようかな」
穏やかな口調でレイモンドが話す。怖いほど整ったその顔は、いつもにまして鋭い目つきで2人を見る。
「んにゃ〜、その刀、やっぱり怖すぎるにゃ...。どうしよっかにゃ〜、でも、先に潰すべきは...その大きな武器を持ったやつかにゃ、なんか面倒くさそうだし」
「そうですね、あの武器で切り付けられると恐らくですが、身体の重力を操られます」
ミザリーは愛剣を構える。「あはは、能力がバレてるとやりにくいね」と言いながらアシェルも大剣を構えた。
キィィン!
互いの武器の重なりあう音が響く。ミザリーとアシェルが刃を交えた隙を見てはレイモンドも攻撃を仕掛ける。後衛組のニーナとフレイももちろん手助けをしながら、お互い攻撃を仕掛けている。
「女性に乱暴をするのは、あまり好まないのだけどね」
レイモンドの刀がミザリーの左腕をかする。
「くっ、女性だなんだと性別で区別されるのは不服です」
ミザリーの反撃がアシェルの右肩を劈く。
2人を相手しているミザリーの額には大粒の汗。不利な状況だがそれでも対等に戦えているのはニーナのサポートがあるからこそだろうか。
幾度となく刃が交わり、じわり、じわりとニーナとミザリーは追いやられていく。気がつくとミザリーは大広間から下の階に繋がる階段の方まで誘導され、、大広間にはニーナとレイモンド、そしてフレイだけになっていた。
「ニーナさん、こちらは私にお任せください!下で落ち合いま」
そう話すミザリーの声は途中で途絶えた。階段が不安定になっていたのか、崩れ落ちたからだ。しかし、ミザリーもアシェルも様子は見えないがおそらく大怪我はしていないようだ。
「こちらは大丈夫です!お任せ下さい!」
そう遠くなるミザリーの声にニーナは「んにゃ〜、もっと気楽にいきたかったのになぁ」と返すのだった。
【華翠本部2階:大広間】
「クロフォード、君の能力で奴を追い詰め、俺の刀で縛り上げるぞ」
レイモンドが自身の刀を一振すれば、バラバラになった刀身が赤い液体で繋がれムチのように唸る。
「わかりました!レイ先輩!」
フレイが氷の礫をニーナめがけて飛ばす。ズドドドッッと床をえぐる氷の塊を、ニーナはピョンピョンと避ける。
「んにゃ!!男ふたりがこんなか弱い女性を苛めるだなんて!酷いにゃ!」
それを聞いたレイモンドは苦い顔をし、「俺も出来れば争いたくはないんだ。ならば黙って捕まってくれるだろうか」とニーナに問う。
「んにゃ〜それじゃあお縄に...」
「助かる」
そう言って自身の手首を差し出す振りをしながら、ニーナはレイモンドめがけて銃弾を飛ばす。
その月の形を模した銃弾はレイモンドに当たることは無く、フレイの作り出した氷の礫にて防がれる。
「いやいやレイ先輩!嘘だって、絶対に嘘でしょう!ヴァリスを安易に信じてはいけませんって!」
レイモンドはその銃弾をフレイが防いでくれる事が分かっていたかのように、数歩後退し、残念そうな顔を浮かべる。
「俺は、ヴァリスという先入観だけで相手を疑いたくなかったんだ...。だが、相手がこちらへ敵対意識があるのであれば、こちらも武力で拘束するしか無くなってしまうな」
「そもそもヴァリスを先に攫ったのはそっちにゃのに、自分らを正当化するのはやめるにゃ...」
ニーナはうげぇといった表情を浮かべる。「アタシ、あんたのこと嫌いだにゃ...出来れば今すぐにでも逃がして貰えないかにゃ...」
ニーナが逃路へ向かおうと体の向きを変えると、すかさずレイモンドがそれを塞ぐ。
「残念だが俺は1度逃がした獲物を2度も逃がすほど寛大ではないのでね。意に沿わないが、ここで死んで貰う」
ムチのようにうねる刀身がニーナめがけ伸びる。ニーナが避けた先へフレイがすかさず攻撃を仕掛け、その氷がニーナの足をかすり、赤い血がたらり、と流れた。
じわりじわりと追い詰められる。
野良猫を捕まえようとする悪いオトナみたい。
野良猫には野良猫の幸せがあるのに。
アタシにはアタシの。ボクにはボクの。幸せがあるのに。2莠コ縺ォ縺ッ2莠コ縺ョ蟷ク縺帙′縺ゅk縺ョ縺ォ縲。
それからしばらく時間が過ぎた様に感じる。ニーナの体はレイモンドとフレイの攻撃にて多くの傷が付けられ、真っ赤な血は自身を飾り立てるリボンのようにも見える。
真っ赤な、可愛い、ドレス。
逃げなくちゃ。アタシは生きなきゃ。
【視点:ニーナ】
痛い痛い痛い痛い!信じられない!!
怖い、怖い怖い怖い!あの隊長の真っ黒な目に見られるとあの日殺されかけた日を思い出してじわりと胸が痛む。
あの日は上手く逃げられたけど、今回はなんかヤバそう。
アタシは、か弱くて、臆病で、人間から血を吸うことすら躊躇う、弱い月血鬼なのに。
ひどい。こんなの、酷すぎる。
そうでしょ、ねぇ、答えてよ。
月には神様がいるんでしょう?僕達はなんにも悪いことはしてないはずでしょう?
どうしてみんな僕達をイジめるの?
【華翠本部2階:大広間】
「ぐッッ......!!」
ニーナはレイモンドの攻撃にて大きく吹き飛ばされた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
先程から幾度となく月のカケラの能力を使用して攻撃していたからか、息切れが止まらない。
苦しい、苦しい、苦しい。少し過呼吸ぎみな呼吸を元に戻そうと試みるも、流れた血が多すぎて、簡単には元に戻らない。
そう言えば、とおよそ50ml程の小瓶をポシェットから取り出す。その血を大切そうに、握りしめたあと、ゴクリと1口で飲み干した。
「はぁ、はぁ、はぁ、嫌いだ、嫌いだ、アンタら華翠なんて大嫌いだにゃ、」
壁をつたって立ち上がったニーナは逃路が開けていることに気がつく。
身のこなしの軽いニーナは負傷していたとしてもその事実は変わらず、レイモンドとフレイの間をするりと抜け、逃路へ向かう。
走れ!走れ!走れ!走れ!
全力で走り抜けたニーナのその長い髪が、ふわりと宙に舞う。レイモンドは、無意識に、その長い髪を掴んだ。
ぐいっと掴まれたその長い髪によって、ニーナの体は後ろへ糸がひっぱられたかのように、引き戻された。
「痛い!!!やめろ、僕の髪に触るな!!!!」
叫ぶニーナは自身の銃を乱射した。その、放たれた銃弾のいくつかが、レイモンドの左腕へ命中した。
「ッッ!」
レイモンドがその攻撃にて掴んでいたニーナの髪を離す。すかさずニーナはレイモンドと距離を取った。
「レイ先輩!」
フレイがレイモンドへ詰め寄る。その左腕をよく見ると、ニーナの銃弾が当たったところが、じわりと、腐っているように、感じる。
その腐敗はじわり、じわりと広がっているようにも感じた。それは腕にあたった銃弾数と比例しているようにも感じる。
レイモンドは懐から紐を取り出すと、二の腕の辺りをぐっと縛った。
「な、なにを、」
フレイはその動きに困惑を隠すことができず、面食らっていた。
「クロフォード、紐で縛ったあたりを君の能力で冷やしてくれ、凍るギリギリまで」
躊躇うフレイに「はやくしろ!」とレイモンドは叫んだ。「皮膚表面の温度を低下させれば神経の伝達速度が遅くなる。痛覚を鈍くさせるんだ」
フレイは「は、はい!」と己の能力でレイモンドの縛った紐付近を冷やした。
「今からこの腕を切断する、クロフォードはあの月血鬼を捕らえろ。難しければ殺せ」それに「俺がどんな悲痛の声をあげても振り返るな、急げ」と付け加えた。
仲間思いなフレイには少し涙が出るような指示にも感じる。だが隊長の命令が、人道に反しているとも感じない。フレイはニーナに向かって氷の礫を飛ばした。
壁によりかかり息を整えていたニーナは、自身の衣類を氷の礫にて壁に押さえつけられ、簡単に身動きが取れなくなる。
「ん、んにゃ!!離せ、離すにゃ!!人間、華翠の人間め!やめろ!」
じたばたと暴れるニーナはまたも銃弾を乱射する。その銃弾に触れると、触れたところが腐るという事実を知っているフレイは、なかなか距離を縮められずにいた。
すると、ジリリリリリ!!!と火災報知器がなにかに反応し、水を降らせた。
2階に火元は無いように感じる。もしかすると、3階か...1階で何かあったのか。
「...やめろ、やめるにゃ、どうして、どうしてそんなにアタシをイジめるの、嫌い、嫌い、アンタら華翠なんて大嫌いだにゃ!!」
ニーナは先程よりもさらに暴れ、銃を乱射する。フレイは己の能力にてニーナの銃目がけて礫を飛ばし、その銃を手から離すことに成功した。
あとは、あとは、捕虜、もしくは、殺す、だけ。
一瞬、フレイが目を離した隙に、先程ニーナがいたその場所に、全く違う人物がいた。
おそらく男性だろうか。姿形は違えどあがった息と身体中につけられた傷が確かにニーナであることを証明している。
「...ニーナは、殺させない、」
その男性は確かにそう話していた。水で濡れたその顔は泣いているのかどうかももう確認出来ない。
フレイがその変化に目を見開き、数秒の迷いが生じたその時。
レイモンドの伸ばした刀身がアーヴィンを貫いた。
【視点:アーヴィン】
放水機から水が降り注ぐ。まるであの日の雨みたいだ。
あの日自分は死ぬべきだったのだ。
生き残るべきはニーナであって、自分は、死ぬべきだったんだ。
大切な、大切なニーナを"2度も殺す訳にはいかない"と感じた僕は、自身の死を察した瞬間、元の姿、"アーヴィン"に戻った。
自身の胸部を確認する、どくり、血が溢れる。
最悪だ、こんな所で死んだら、死体は必ず解剖される。大嫌いな華翠の人間に触られるくらいなら、雨とともに消えて、無くなりたい。
ほんとうに、嫌いだ。華翠のあの、ボヤっとした隊長に殺されるだなんて、最悪。
自身の涙でぼやけた眼でその姿を確認すると、左腕の存在を確認できない。自分で切断したの?大した覚悟だね、ほんとに。
「クロフォード、軍人が迷うな。その一瞬の迷いで君は死ぬぞ」
もう自分の身体がどうなっているかなんて、わからないほど、痛みも感じなくなっている。
もう少し、もう少しニーナ・ウィルバーフォースとして生きたかった。
妹の物語を紡ぎたかった。
ニーナ。お兄ちゃんも今行くよ。
アーヴィン・ウィルバーフォースの月のカケラが砕けた。
【華翠本部2階:大広間】
ぴくりとも動かなくなった、その月血鬼の死体は、とても悲しそうな顔をしているようにも感じたし、妹を想う兄のような、そんな表情にも感じた。
「クロフォード、幹部になってまだ若い君は月血鬼を殺した回数も少ないだろう。躊躇う気持ちも解る。俺も最初はそうだった」
レイモンドは刀身を鞘に収める。フレイは「すみません、」と肩を落とす。暫くの沈黙のあと、レイモンドはフレイの肩にポンと手を置く。
「気に病むことは無い。次がある。はじめから無慈悲に殺せる奴なんて居やしないんだ」
月がゆっくりと顔を覗いていた。まるで、己の分身の崩壊を悲しむような、朧な眼差しで地を見下ろしていた。うっすらと赤く色付き始めたその月は、まるで血を吸っているよう。
もうすぐ満月だ。
シナリオ▶︎小林キラ
スチル▶︎紫陽花/Rosa/タツマキ/小林キラ